home ベトナム 3◆渡航歴<4-6>
 

 
4●2001年1月..........  8泊10日 レックスホテル

アイスクリーム
アイスクリーム
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レストランのデザート
レストランの
デザート
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●ありもと・ようこ
主婦から料理研究家へ
TVや雑誌で活躍中

著書多数、趣味は旅
1年の半分近くは
イタリア在住


 友人達と香港で2泊して、それから、単身ホーチミン入り。いつもの旅行会社の日本人スタッフが迎えに来てくれて、ホテルに荷物を置いてすぐお茶に出かける。夕飯も日本料理屋で日本人が集まっていて、そこに参加。面白い。


 いつもの料理の先生、ハンさんに料理を習う。この回は色々あって、料理ばかりしている時間は無かった。 料理は4回のみ。


 ちょうど同じホテルに泊っていて同じ旅行会社を利用している2人のおばさまと知り合い、一緒にハンさんに料理を習ったり、食事に行ったり。
そのおばさま達は有元葉子さんに料理を習っているそうだ。1人は数年前に有元さんと一緒にベトナムに来たそうで、何でもよく知っていた。おばさま達はその後、私の店に有元さんの姪の方と一緒に来てくれた。


 おばさま達が帰国後、チャリティーでお世話になっているマダムとホーチミンで合流。娘さんがホーチミンでギャラリーを始めたりして、なかなか忙しそう。彼女とその秘書と作家さん達と、ホームパーティーをした。生きた海老を天ぷらにしたり、野菜のパスタを作ったり。イギリス人の絵画の先生がパスタを「美味しい美味しい」とよく食べていた。フランス人の作家は天ぷらがお気に入り。


 おまけに、ボランティア仲間も女の子の結婚式にまで出席。この時、
初めてベトナム式の結婚式というものを体験する。


 今度は何事も無く過ごせた。慣れたかな。相変わらず
ZAKKAへ通う。オーナーのママさんとも親しくなる。ここは避難所みたいな所。 一人でいると、こういう場所がホッとする。


5●2001年8月.......... 7泊9日

友人の遊び相手 その1
ホーチミン
友人の遊び相手
その1
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友人の遊び相手 その2

ホーチミン
友人の遊び相手
その2
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●Cho Lon
ホーチミンの中心地から
南西約5kmにある
チャイナタウン

18世紀末にできた街

チョロンとはベトナム語で
「大(ロン)市場(チョ)」








 ギャラリーをしている友人も8月は休みなので、一緒に行くことになった。


 初めから、私はコケた。これが最後に繋がっていたのかも。朝5時に待ち合わせしてたのに、
友人からの電話で起こされる。「どうしたの...うっそー!やだ、5時過ぎてる」夫も起きないでいたなんて、なんで、こんな日に限って...起きて5分で仕度。友人が迎えに来てくれて、ご主人の車でいざ、羽田。焦ったよ。


 5回目となると
大体の道は解るようになっている。面白いものだ。この時は、ネットで知り合った女の子もたまたま同じ時期に来ていたので、一緒に食事、現地駐在の社長さんにも電話して、皆で一緒に食事に行った。


 ハンさんの所には友人も一緒に行ったが彼女はハンさん宅の犬と遊んだり、チューという近所の子供と遊んだり、楽しんでいた。ハンさんは私と友人に「お土産」と言って、食器や俎板などをくれた。優しくて一寸お節介で、とっても良い人です。


 友人は色々と下調べして行きたい所をリストアップしていたので、解り易かった。「どこでもいい」と言われるのが一番辛い。私の見る所とは一寸違ったりして、新しい魅力が沸いてくる。凄いと思った。新しい発見だ!



 帰国前日、チョロンに行って、大失敗をした。この時なぜ、財布を使っていたのか...2人の共通の財布を持っていて、と同時に、自分のも持っていた。 それを落とした...恐らくタクシーを降りた時だと思うが、もう、そこには財布の影も形も無かった。ほんの数分の出来事なのに。


「お寺にお参りをしてから、中華でも食べようか...」ってところだったのに。青くなってホテルに帰ってきて、社長さんに電話してタクシーを調べて貰って、日本にも電話、カードを止めて貰うために。兎に角、ドル、ドン、日本円にカード、全額じゃないけど持ってたんです。またやっちゃったよ、ホントに方角が悪いかも...出発日の寝坊から、この悪夢は続いていたのかも知れない...


 初めから一緒に出かけるのは1回あったけど、その時は一応、私が先生という立場で緊張があった。しかし、今回はそういうのは無くて、
「2人だ」という安心感が、私の緊張の紐を緩めてしまったんだと思う。


 お陰で楽しかったし、お金を落としてしまったこと意外は全て良かった。自分の不注意だから、仕方の無いこと。

6●2002年3月.......... 8泊10日 レックスホテル

お箸を買ったお店の人と
ハノイ
お箸を買ったお店の人と
キレイ!
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ベトナムのアイスコーヒー
ハノイ
カフェのテーブルが...
ベトナムのアイスコーヒー
7000ドン =約60円
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蛇やコブラのお酒
ホーチミン
蛇やコブラのお酒
あちこちで見かけます
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約131ドン=1円
(03年6月現在)
(ヤフー!トラベルより)


 今回は、
知り合いの大学生の娘さんを連れて行く。香港経由で、その日のうちにハノイに入る。ここは初めて。空港から街まで、タクシーで10ドル、乗り合いバスで3ドル。私達は乗り合いバスで行くことにした。先のバスが出てしまい、次のにはまだ、お客はいなかった。


 なんだかとても不安。2人だから出来たと思う。ホテルの名前を言うと、「5ドル」と言う。「ちょっと外れだから」だって。「ガイドブックに3ドルと書いてあるでしょ」と騒いで、4ドルにして貰った。待っている間に白タクみたいのが「10ドル」と何度も言ってきた。バスの運転手は
「あれはマフィアだからダメ」と言っている。


 助手席に座らされて2人も不安だったが、次々後ろに客が乗りギュウ詰めになったのを見て、「良い席だったのかもね」と、2人で顔を見合わせホッとした。ハノイの車の運転は荒い、怖い。クラクションを鳴らしながらどんどん前の車を追い越すが、それがスレスレで「よく事故にならないなぁ」と感心する。


 なんて凄い光景なんだろう。
自転車やバイクの後ろに「今、開いたばかりだろう」と思われる豚が縛り付けられていたいたり、鶏が括りつけてあったり。


 ハノイのホテルは旧市街の中に埋もれていた。小さなホテルだったが、落ち着いて可愛らしかった。2日間は旧市街から出ず、市場に行ったり街をうろうろ。気候はホーチミンと違う。朝は霧雨でちょっと肌寒く、昼も曇りがちで薄い上着を着ていても平気なくらいだ。


 街の食堂で食事をしたが美味しかった。空港までタクシーで向い
国内線でホーチミンへ。だからパスポートは要らないんだ...到着便を知らせてあったのでハンさんが空港まで出迎えてくれて、タクシーと交渉してくれた。それでホテルへ。


 料理は3日間。一緒の彼女も「付き合う」という。ところが調子に乗って色々食べたり飲んだりしていた彼女は、段々臭いが鼻にツイてきてしまったらしく、具合が悪くなってきたらしい。ベトナムに来て、
初めて日本料理屋に入った。「ベトナム料理は食べられない」と彼女が言い出したからだ。ホテルの部屋から見える所に店があったので、そこにした。


 そんなことが数回。彼女をあまり放っては置けないので、4日目の料理はキャンセルした。また、マダムがこちらに来ていたので一緒にチョロンに行ったが、
タクシーで、ボラれた。空港までだって5万ドン(約382円)で行くのに、7万ドン(約534円)近く取られたし、まだグルグル回ろうとするから「もういい」と言って降りた。


 暑苦しさで倒れそうになって市場から出てきて、帰りのタクシーを捕まえて、これがまたメーターが速い。あっと言う間に、また6万ドン(約458円)を超えた。知っている所まで来たので降りた。なんだかなぁ〜、こんなにボラれて...嫌な感じ。マダムとお茶をして、翌日のランチの約束をした。


 彼女も少しは元気になっているだろう。お気に入りの店を見つけたらしく、独りホテルから出て行ってみたらしい。若いから、回復も早い。彼女がとても喜んだことがある。ZAKKAのオーナーが食事に誘ってくれてなんと「来たばかり」というベンツのワゴン車に乗せて貰ったのだ。彼はカッコいいし、楽しかったみたい。


 オーナーは私よりも一回り位、年下なんだろうな、「ホーチミンで成功して凄いなぁ〜」と、いつも思う。彼女を「私の娘です!」と紹介した時にはとても驚いていた。若く見てくれてたみたいで、それって若く見えるというよりは、よっぽど頼りなかったということかな...今回、とても気を遣ってくれたらしい。「何事も無く、無事帰れてよかった...」なんて思っていたら、なんという顛末...


 帰ってから2日位して、
急にお腹の調子がおかしくなった。焦った。黄色い検疫の紙を持って医者に行き、検査して貰った。夜の予約があったのでそれだけはこなしたが、残り2日間の通常営業は休みにした。お腹の方は日に日に落ち着いたけど「伝染病だったりしたら大変だよ」と思って、独りで慌てていたのでした。


 単に疲れだったのか、それって歳には勝てないってことなのか。検査の結果は、何でもありませんでした...


(2004/2/9)
写真●小小
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