home ベトナム 4◆渡航歴<7-8>
 

 
7●2003年.......... 10泊12日 ハンさん宅&レックスホテル

蒸し器
蒸し器です
蓋が可愛い
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野菜の飾り
野菜の飾り
プロの技!
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 今回、初めてホームステイした、料理の先生の家に。前々から「ウチに泊れ!」と言われていたが、なかなか機会が無かった。今回、勇気を出してお世話になることに。


 初めて成田からの直行便が取れた。インターネットで調べて、航空券の
一番安いところから「2番目位」というのを選んでみた。どんぐりツアー、これが当たり!


 
夜中、ハンさんが空港まで迎えに来てくれて、そのまま家へ。綺麗にリフォームしていた。部屋にはシャワーもある。エアコンも付いている。荷物を置いたら夜食のお粥。美味しいけど、機内で食べてるのでそれほど食べられない。なんか、普通のベトナムの人の生活が始まるのね。不安と期待で一杯。


 どうしてよいのか解らない状態で、一夜が明ける。「何時に起きたらいいのだろうか、朝ご飯の仕度は?」など、色々考えた。遅くまで電気をつけていたら、朝、「寝たのが遅かったのか?」と訊かれる。日本にいる時と同じ悪い癖で、電気を付けたまま寝てしまっていたのだ。


 何と答えてよいか解らない。第一、ベトナム語が出来るわけじゃないのだから。指差し会話と英語。ただ英語も、こちらの知っている単語とあちらの知っている単語が噛み合わないんだよね。参った...


 朝は7時頃に起きて、階下に降りてみた。隣に出ているフォーの屋台で朝食。早速、8時過ぎから料理の勉強。旅行社からガイドが来てくれて、ホッとする。


 午後、旅行社に代金を払いに行くのに、タクシーで行こうと思ったら、ハンさんが「バイクに乗せていく」と言う。買い物をしたり、ずっと一緒って事か。自由が無いよ、これは...。バイクの後ろに乗るのは初体験!怖い。ハンさんも怖かったみたい。


 旅行社では、社長の娘さんの結婚式の招待状を貰った。滞在中に結婚式があるのだ。結婚式はこれで2回目。しかし、アバウトな国だよね〜こんな旅行客まで招待しちゃって。まあね、お得意さんだから。ハンさんの家は事務所を貸していて、日系の会社が入っていた。


 ベトナム人の女の子で、日本語が少し解る子が私の通訳代わりになってくれて、一緒に食事に行ったり、お茶に行ったりしてくれた。ハンさんも何かあると、わざわざその子に電話してまで聞いてくれた。至れり尽くせりという感じ。「自由が効かない」と言いつつも、私は頑張って買い物に出かけ、あれこれと買い込んだ。


 3日後、友人と合流してレックスホテルに宿泊。しかし、友人は3日しかいない。ZAKKAで服を作り、お土産を買い、メコンデルタツアーに行き、精力的に動いた。ZAKKAのオーナーと食事、人気歌手のライブなどを案内して頂いて、友人も大満足!


 友人の滞在最終日が結婚式で、空港へ行く時間まで2人で参加した。綺麗な花嫁さんだった。レックスでもいつも野外スペースを通り過ぎて部屋に行くので、よく結婚式に出くわしたが、自分が出席するのとは違う。日本人スタッフもベトナム語の歌を歌って祝福していた。


 ホテルからハンさんの家に戻るのに、ZAKKAのオーナーが車で送ってくれたのだか、それが気になったようで、「どうしてタクシーじゃないの?」と聞いてきた。大きなベンツが来ちゃ、吃驚だったかもね。


 翌日も買い物の帰りにタクシーを呼んで貰おうとしたら、送ってくれちゃったので、ハンさんは「私が帰国の際、自分と一緒に空港に行くのかどうか」凄く気になっていたようだ。ガイドの子がそれを聞いてきたので「勿論、ハンさんと行くよ」と言ったけど、最後まで気になっていたようだ。実際ZAKKA のオーナーは「空港まで送る」と言っていたのだが、残念だけど断った。


 ハンさんの家にいる間に雑誌の取材を受けた。今度の旧正月頃に出るそうだ。買ってきた料理道具や食材などを広げ、写真も撮った。店の様子なども聞かれたが、「看板も無く、毎日営業していない」というスタイルには馴染みがないから、なかなか理解して貰えなかった。


 夜は日本食ということで、鯖の味噌煮を作ることになり、雑誌の記者も、夜また来た。この時は停電もあった。悲惨、暑くて〜。「こんなことだったらホテルに戻りたい〜」と、叫びたかった。段々機嫌が悪くなってイライラする私。全て良い思い出だ。


 ベトナム人「気質」というか、昔の日本の近所付き合いと同じなんだけど、最近そういうのに慣れていないので、ちょっと戸惑ったのだと思う。習慣の違う人間を受け入れてくれて、色々面倒を見てくれて、ハンさんだけじゃなく、周りの人皆が私に注目していた1週間でした。


 ただし、私がベトナムに行くのは日常と離れていたいからなので、
「 長期のホームステイは止めよう」と思った。この時期は新型肺炎SARSが流行し始め、そして、アメリカがイランと戦争を始めた頃でした。飛行機の乗客は少ないし、成田ではマスクが売り切れとなっていました。


8●2003年8月末.......... 香港(2泊)経由 10泊11日 レックスホテル

ドラゴンフルーツ
ドラゴンフルーツ
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ベトナムの仏教
ベトナムの仏教
派手な飾り
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 8月にまた行く、とは考えてもいなかったのだが、やはり色々考えて「行っておくべき」と思った。「ツアーで5日間位でいいかな」と思ってパンフレットを色々見たが、時期的に考えると個人で行ったほうが安い。そうなると、「5日間」などど言わず、「長く」と思ってしまう、悪い癖。


 おまけに「干し海老と、干し貝柱を買いたい!」等とバカなことを考え、実行してしまった。この時期の航空券は、直行も往復香港経由も大して価格に差がなかったのだ。


 香港に2日間ストップオーバーして、夜10時過ぎの飛行機でホーチミン入り。夜中だというのに、またまたハンさんが会いに来てくれた。夜中でタクシーは怖いと思い、旅行社の送迎を利用したので、ハンさんとは空港で顔を見ただけで、お別れ。「翌日からの料理で会いましょう!」と別れた。


 レックスホテルは前回の時から値上げしていて、1人ではちょっとキツイかも。今回は久々にずっと1人。ただゴロゴロして過ごすつもり。料理は魚介類ということで、なぜか料金が10ドルも高かった。「その割に満足な料理ではない」と私は不満。


「4日目も」とお願いしてあったのになんと、普通の体験のお客さんが入ってしまって、私はすっぽかされてしまった。なんだかなぁ〜、「ハンさんも色々レシピ考えるというか、探すのが大変なのかもしれない」と思った。体験のお客さんは、いつも生春巻と揚げ春巻とバインセオを作っていればいいのだから。こんな長期に習いに来る人なんて、いないものね。


 今回、ZAKKAのオーナーは出張中で会えなかった。残念。やっぱりいい男には会いたいよね。次回はまた...


 いつも買い物をする雑貨屋のおじさんとはすっかり顔馴染みで、「何処に泊ってるんだ?」と訊かれ「レックス」と言うと、「もっと安いホテルに泊って、ビジネスにお金を使えよ!」と言う。「自分の知っているホテルを紹介してやる」ってね。ホント、ホテル代はバカにならないから、次から考えなくちゃね。


 このおじさんとは、2回目にホーチミンを訪れた時からの付き合い。ホテルまで荷物を運んでくれて、私が1ドルのチップを渡すと、「自分はboss だからチップは要らない」と言われたのが始まり。必ず寄るようにしている。そこのマダムは、何度も日本のベトナム旅行のTV番組に登場している。「この間、TVで観たよ〜」と言ったら、嬉しそうだった。

●京成スカイライナーの終電は
(2003年8月現在)

成田21:57→
上野22:58

京成(特急)の終電は
成田22:43→
上野23:57

でした
 帰りも香港を経由しなくてはならず、朝早くホテルをチェックアウト。帰国日は忙しい。ただし、その日のうちに日本に着ける。10時過ぎの飛行機で香港へ。3時ちょっと過ぎのキャセイの最終便で成田へ。スムーズに行けば、難なくスカイライナーの終電に乗れるのだが、香港の出発が1時間以上遅れたのだ。


 そして運悪く、その日は落雷があり電車がストップしたりとダイヤがかなり乱れていたらしい。JRの最終は出てしまい、頼みは京成。スカイライナーはとっくに終わり、普通電車を待つ。上野まで行く終電。


 でも、上野から春日部まで電車はあるのかな? 自宅に電話して、友人にメールして「あぁ、携帯の電池がなくなる〜」と、なんとか春日部まで辿り着く。既に深夜2時近い。これじゃ「帰宅はその日のうち」ではないよね! 友人はもしもの時のために、ビールも飲まずに待機していてくれたそうだ。有り難い。


 このところ、健康上は何の問題も無く、きている。やっと慣れたかな。


さて、9回目は..........


 どんな料理を習おうか、どんな旅になるのか、楽しみでワクワクする!


(2004/5/11)
写真●小小
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